愛猫こうちゃんの末期がんが発覚してから、ちょうど3週間。
発覚後、1週間くらいは、全然気持ちが追いつかず、仕事をしていても気づいたら泣いている始末でしたが、少しずつ、なんとか気持ちを追いつかせようとしています。
余命は2か月ほど(でも半年以上、1年頑張る子もいるらしい)と言われており、仕事でも私事でも来月や再来月の話をするのがつらいです。最近家を買って、9月には引っ越し予定だけど、、、一緒に引っ越しがしたいです。
ただ、「末期の肺がんの猫」といっても、見た目は今日も健康そのもの。3週間前に抗がん剤を始めたけど、外から見た限り副作用はまったくなし。むしろ抗がん剤カプセルを包む用のキャットフードが大好きで、抗がん剤を服用する朝はご機嫌です。
ゴロゴロとよく甘え、ネズミのおもちゃを追いかけて飛び回り、よく寝て、よく食べる。
落ち込んでいる私を横目に、本猫は、どこ吹く風。未来のことを心配して落ち込むなんてことはなく、「今」のことしか考えていないし、「今」を生きています。
先のことに右往左往しているのは人間だけかも。友人に、こうちゃんのことを言うと、「9才10か月で癌か、まだ若いのにね」と言われることもあります。アメリカンショートヘアーの平均寿命が13才前後なので、数字だけで判断すると、確かにそうだと思う。けれど、そう言われてしまうと、私の育て方が悪かったのか、、など、余計に気持ちが落ちてきます。
でも、こういうふうに平均寿命とか気にするのも人間だけなんだよな、と今回の件で思うように。本猫は自分が今何才なのも知らないだろうし。「平均寿命、は? 何それ?」くらいの感覚でしょう。
ある方に、こうちゃんの癌のことを報告したら、「大変だ。お子さんもショックでしょう。仕事はちゃんとできている? でも、もうそうなったなら、しっかり面倒をみて、やり切るしかないですよ」
こういうふうに返してくださった方がいて、とても支えになっています。
平均寿命とか、数字にこだわるのではなく、事実を受け入れ、残りの時間を大切にする。しっかり愛情を注ぐ。看取り切る。
こうちゃん自身は、おそらく自分が病気であることにも気づいてすらいません。それなのに、人間があれやこれや言うのはなんか違うかな、と思っています。
最近の仕事といえば、英検の本の最終校正中で、本日出版社さんにお戻しします(写真は既に発売済みの別の本です)。去年の夏にiPadを買って依頼、校正はiPadで行うようになりました。Goodnotesというアプリ内で、自由にペンで書いたり消したり校正ができて、便利。提出する際は、それをPDF化して送るだけです。
今まで、紙ゲラでやり取りしていた時代の時間ラグを考えると、本当に、もう元には戻れない、絶対に。